成長の糧は“人材育成”
ハードウエアが進歩するのに対応して、それに追いつき、ニーズを満たす技術水準、システム水準が当然のこととして要求される。コンピュータ時代になって、その傾向は、ますます強まってきた。
こうした環境の変化に対応していくためには、何が必要なのか。専務の山口桂治郎がズバリ断言する。
「つまるところは人間、人材ということですね」
東洋ビジネスは、早くからこの基本点を認識していた。社内にあっては、常に教育に最大限の精力をそそぎこんできたことが、そのことを証明している。
昭和四十四年の本社社屋の新築を機に、徹底したQC活動が展開されたのもその一つである。セクションごとにサークルをつくり濃密度の研究活動が続けられた。しかも、その活動は営業時間内に組み込まれるという熱の入れ方だった。その取り組みの姿勢は、そのまま人材教育に賭ける東洋ビジネスの情熱の強さをあらわしている。
「本格的なプロ・ビジネスマンづくりの第一歩だった」
桂治郎は、このQC活動をこのように位置づけている。いま、それは月一回の「技術ゼミ」として結実している。
同時に、各種の研究活動、海外研修活動にも組織的に取り組んでいる。海外研修への社員派遣は恒例化しており、今後とも拡充していく方針であるという。
組織的経営手法を早くから取り入れているのも東洋ビジネスの発展の一つの要因である。目標管理は、今日では常識になっているが、中企業の東洋ビジネスがこの問題に取り組んだのは、オイルショック前の昭和四十七年であった。
まず、予算制度が導入された。販売成績が上がっているのに利益が伸びないのはなぜかという疑問の発生が動機であった。つぶさに現状を分析してみると、経費とくに変動費の増大が原因であることがわかった。その原因をさらに追求していくと社内のコスト意識の不足に突き当たる。利益志向の姿勢の欠如に問題があったのだ。
桂治郎らトップは、目標管理の必要性を改めて痛感する。
「目標管理、予算制度の導入といっても、従来の経理的発想によるものでは社員のモラールアップにつながりません。そこで、独自の予算制度を確立するためにいろいろ検討が行われました。なんといっても、全社員が納得するものでなければ成功しませんからね」(桂治郎)
その結果、損益分岐点(変動軽費74%以下)を基本にした独自の方法が見つけ出された。手順的には、年度末の業績の大要を基準にして、一人一人の営業マンに来期の販売予想を部長経由で申告させ、得意先管理カードと付き合わせて検討、修正し、最終目標を設定するという方法がとられた。いわば、社員参加の目標管理の実現を目指したものである。そして、その具体的推進機関として業務執行委員会(専務、社長室長、各部課長十人)が設置された。
この予算制度をベースにして、昭和五十年度からは、自己申告制に基づく給与の「年俸制」が採用された。毎年、給与改定時になると社員一人一人が過去一年間の自己評価を行い、これから一年間の個人目標を設定して改定額を申告するのである。これをもとにしてトップと個々に面接交渉して自分の年俸を決めていくのだ。そうすることによって社員のモラールアップをはかり、目標管理の実を確実にしていこうというのがネラいである。
「面接には一カ月ぐらいかかります。中には条件が折り合わず退社していった者もありますが、個々が目標をはっきり自覚できることがモラールアップに大いに役立っています」
労働組合がなかったことも一つの動機だったが、労組が結成された現在も、この制度は継続されている。
(敬称略)
<文・道田 国雄>
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