一歩先んず 第4回

新聞連載
This entry is part 4 of 10 in the series 一歩先んず

日本初、ノーカーボン紙を用いた伝票印刷を開始

東洋ビジネス、つまり若き専務・山口桂治郎の仕事は、輸入ノーカーボン紙の印刷販売からスタートした。
カーボン紙を綴りの帳票にはさみ、昔ながらの帳票製作があたりまえの時代のことである。ノーカーボン紙の取り扱いは、そのこと自体、すでに世の中に「一歩先んじる」ことであった。ノーハウビジネスへの果敢なる挑戦というところである。
桂治郎は、学生服に早稲田の角帽をかぶって営業に飛び歩いた。フクちゃんばりの巧まざる演出もあずかって、この営業マンはなかなか評判がよかった。
「半分は物珍しさ。しかしあと半分は、相手にとって役に立つものを売るという姿勢と実績が買われたのだと思います」(桂治郎)
桂治郎の自己分析はともかく、東洋ビジネスのスタートは、必ずしも順風満帆だったわけではない。輸入ノーカーボン紙は、新しい製品ではあったが価格も高く、かつ品質の点でも問題が多かった。加え日本の規格に対してはサイズも中途半端という弱点があった。何軒か注文はあったがビジネス的には正直いって厳しいものだった。
曲がりなりにもメドが立つまでに三年の歳月が必要だった。苦心さんたんをしたうえ、独自の加工技術の開発に成功したのがその契機になる。
東洋ビジネスが発足したころ、丸善がモンロー会計機の取り扱いを開始した。モンロー会計機にはノーカーボンのカードが必要だったが、当時、日本にはまだそれがなかった。アメリカでは、NCRの特許で売られていたのだが、日本には届いていない。東洋ビジネスがノーカーボン紙を扱っていることを伝え聞いた丸善の担当係長藤原良造氏(現電算機販売部長)は、わずかの可能性にすがる気持で東洋ビジネスに打診してきた。
「あなたのところで、ノーカーボンのカードはできないものだろうか」
社長の忠造と桂治郎は、この思わぬ照会に感激した。
「やってみましょう」
桂治郎は、即座にこう受けた。
意気込んで受けてみたものの、しっかりした技術の基礎があるわけではない。以後は、文字どおりカーボンに染まっての試行錯誤のくりかえしである。ノーカーボンは、簡単にいえば、紙にミクロン単位のマイクロカプセルを塗布して発色させる技術である。貼り合わせには糊を使うのだが、この糊がうまくのらない。水分を含んでいるからシワになったりよじれたりする。
「それはたいへんな苦労でした。それでも成功すれば、それこそ人に先んずることができます。失敗を重ねながらも頑張り通し、昭和二十八年についに開発に成功したのです」
――輸入ノーカーボン紙のカード加工に成功、事務用ナンバリング入りワンライテング帳票の印刷開始、と会社沿革に書かれているこの一件は、東洋ビジネスの歴史の中で重要な意味を持つ。
何よりも、東洋ビジネスの将来の方向をはっきりと位置づけることになったことが大きい。ただ、一歩先への思いから踏み込んだビジネス・フォームの道に、具体的な光明を灯す結果になったのである。新しい技術は、丸善の新製品として大いにヒットした。そのことは、同時に、東洋ビジネスの目標の正しさを証明していた。
事実、桂治郎は、次のように思い出している。
「以来、会計簿の時代が十年ばかり続きました。この間に、わが社の初期の経営基盤がしっかりと築かれたのです。それに、この時、新しいものに、なんとなく自信みたいなものが生まれたのも確かでしたね」
このとき、桂治郎は、まだ二十二歳の若さである。このしたたかで確かな経営感覚は、もう一つの〝学習″が下敷きになっていた。
(敬称略)
<文・道田 国雄>

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